★☆ 恋思想

雨上がり、頭上に水滴が落ちてきて、驚いて顔を上げる。
一羽の鳥が、新緑の木の茂みから羽ばたいていくのが目に入った。

今でも、この瞬間君が傍にいてくれればなと思う。
目を細めて鳥を見送ってから、僕はまた、歩き始めた。


君と初めて会ったとき、僕は君を、
なんていい加減な人だろうと思い、敬遠していた。
君の口癖は「面倒くさい」で、
何度も自分で立案した計画を途中放棄するような人だった。
とりわけ僕と会った時の君は、
もう帰りたいと言ったり、
調子のいいことを言って人を期待させておきながら、
今のは冗談、と言って、
人が落胆したり憤怒したりを見るのが好きな人だった。

 ――佐世古。

君は笑って僕の名前を呼ぶ。
素っ気ない態度で接していたはずなのに、
どうして彼女は僕に構うのだろう、
とあの頃はよく思ったものだ。
後から聞いてみると、
彼女は僕があまりに素っ気ないので、
仲良くなりたかったらしい。

最初から君を避けずにいれば、
僕は今、この胸を潰されるような悲しい気持ちに
ならずに済んだのだろうか。
何度も、僕は後悔に項垂れる。

 ――ねえ佐世古。いつまで、敬語?

出逢ってから半年ほど経ったある日、
彼女が言った台詞だった。
この頃になると僕の彼女に対する見方も、
彼女自身も変わってきていた。
前より一緒にいる時間が長くなって、
更に、その時が居心地よく感じられるようになった。

敬遠していた頃に遣っていた敬語は、
だんだんと彼女に対して話す言葉として根付いていて、
なかなか彼女の要望通り、普通に話すことが出来なかった。
同い年なのに敬語を遣う僕を、
多くの人が奇妙に思っていたことだろう。

きっと最初から僕は、君を特別視していたんだ。


――「面倒くさい」なんて、言っちゃだめだよ。

彼女が「面倒くさい」と言わなくなったのは
いつからだったろうか。
いつしか僕が彼女に諫められる立場に回っていた。

それを確信したとき、ようやく気づいた。
君の見つめる先に、あるもの。
少しの喪失感を感じ、一時思考停止した後、
僕はその場から逃げ出していた。

僕と君は良き相談相手で、
僕らの間にあった居心地の良さは家族愛に似たようなもので、
恋人とは違っていたことは、ずっと前から気がついていた。
出来れば気付きたくないと、何度も目を背けてきたもの。
そして、君の物憂げな瞳が見つめる先にいたのは、
僕ではない人。

この悲しみが、
君を恋愛対象として見ていたからではなかったことが悲しかった。
君は、兄弟のいない僕にとって
世話の焼ける姉のような人で、頼れる女性だった。

 ――私、今とっても幸せなのよ。佐世古は? 幸せ?

白いウェディングドレスに身を包んだ彼女が、
満面の笑顔で僕に尋ねてくる。
君を愛おしく思う感情を、捨て去ることは出来ない。
この、恋心とは少し違う
妙な感情を持ったままでも君の傍にいられるのなら、
それは幸せなことなのではないだろうか。
いつか君の傍を離れなければならない時がやってくる。
僕にも愛しい人が現れるかもしれない。

 ――おめでとう。

君はいつか、そう言って僕のために泣いてくれるだろうか。
僕が喜びと悲しみで、君にそうしたように。

また、雨が降り始める。
梅雨入りの日は、君と出逢った日と同じように
どしゃ降りになるのだろうか。
そうしたら、僕と君のように、
はっきりとしない結末を迎える、
出逢いがあるのかもしれない。

様々な感情の浮かび上がるこの梅雨の季節を、
僕は君と同じくらい愛おしく思う。



                  ――fin

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