★☆ 舞い落ちる花弁

穏やかな春の日だった。
桜はとうの昔に春雨で散ってしまい、
今は枯れてぐちゃぐちゃになった花びらが、
道の脇に吹き溜まっている。
生気を失った茶色いカタマリ。
この時期の桜は汚くて嫌いだ。

一ヶ月にも満たない春休みが終わりを告げ、
これからまた憂鬱な日々が始まるのかと思うと気分が沈む。
春は嫌いだ。
あらゆる人々の表情に、希望と絶望が見えるから。

新クラスと新担任の発表があったが、
目新しいことは何もない。
三年目ともなれば学年のほとんどの顔を覚えてしまうし、
グループも固定化され他人が入り込む余地はなくなる。
特に俺のような存在は。

けれども学校とは案外優しいもので、
必ず一人は仲の良い友人がいる。
興味があると言えばこの点に関してだろう。

残念ながら俺には関係のない話だが、
一度別々のクラスに離された女子が、
また同じクラスに入ったらしい。
去年大変な問題となっていた二人組だ。
人は見ていて飽きないと言う。俺はどうだろうか。

折角クラスメイトになれたと言うのだから、
じっくり観察してみようと思う。
人間観察というのは至極退屈なものだ。
しかし、故に面白い。


平凡な人たちが、有り触れた会話をしている。
最近人気らしいドラマの話、昨日あった家での出来事。
それから、一緒のクラスになれてよかったね、
これで三年間一緒だね、そんな話だ。

他には春休み中にクリアしたらしい
ゲームの話で盛り上がっている奴もいる。
その会話をしているのが男子と女子であるのは、
今やもう普通の現象のようにも感じられる。
別に怪訝に扱うことでも
喜んで受け入れるべきことでもない。
受け入れようと意識することは、
心のどこかで拒絶しているということだ。

担任が教室に入ってきて、
固まっていたグループが一挙に離散し、自分の席へ座る。

そして皆一様に仮面を被る。
仮面を被らない人間は少数派だ。
俺も仮面なしでは生きられない。

大人にも子供にも同じように接する、
いわゆる仮面を持ってさえいないように見える人間は、
本当は普段から仮面をつけている。
外れないわけではなく、意識的に外さない。

仮面は蓋だ。人の嘘や欲望を覆い隠すための。

「川嶋桜、バドミントン部です」

ピーピー煩い声が降ってくる。
いつの間にか自己紹介が始まっていたようで、
俺の前に座っていた川嶋まで番が回ってきたようだ。
本来ならばやらないのだが、
担任が転任してきたばかりだったために
急遽やることになった。

「あ、あと、ヒヨリはサクラのだからね。
好きになってもいいけど、
ヒヨリの一番はサクラだってこと忘れないでよ」

座る直前に、彼女は付け足した。
ところどころから笑い声が聞こえてくる。
誰かが「知ってるよ」と声を張り上げた。

この騒音はしばらく治まりそうにないな、
と思い俺は立ち上がった。

「坂上樹」と言って席に着く。

一気に静まり返る教室。
視線が一点に集まる。今度はひそひそ声が響く。

川嶋が座ったままこちらに振り返り、
にんまり笑顔を作った。
両耳の下で二つにまとめた巻き髪が揺れる。

「イツキの部活は?」
「俺は帰宅部」

稀にこういうやつがいる。
初対面に対して、すぐ馴れ馴れしく接するような。
多分川嶋のタイプが一番しつこいだろう。
新しい玩具を見つけた、そんな顔をしている。

「イツキって、人嫌い?」
「別に」
「彼女は?」
「欲しくない」

川嶋がいきなり黙り込んだ。
顔を上げると、その横顔が目に入った。
川嶋桜はどちらかと言えば可愛らしい、
マスコット的な存在だと聞いたことがある。

だが今のこの顔は、
そんな前評判さえ打ち消してしまうほど空虚で冷たい。
無感動にモノを見つめる、穴の空いた瞳。
俺と同じだ。
そしてその先にあるのは、
長いストレートの黒髪が印象的な少女。

春山日和の周りは
どこか涼やかで安穏な空気が漂っていた。
川嶋が依存する相手。
彼女の自己紹介が終わると同時に、
川嶋がまたこちらに視線を戻した。
そこにあったのは、あのキラキラした瞳だ。

彼女の被っている仮面は、きっと外れやすいのだろう。
ふとそんなことを考えた。

「あれっ? 何の話してたんだっけ」
「さあ」
「えーと、えーと」

何度も同じ言葉を繰り返しながら、
川嶋はそわそわと忙しなく手を動かした。
髪を撫でつけたり耳たぶを触ってみたり、
急に落ち着きがなくなったように思えた。

「別に、何でもいいじゃん」
「そ、そう?」
「大した事話してないし」
「……そっか! それなら良かった」

そう言って川嶋は体の向きを戻した。
それを見たのか見ていないのかは解らないが、
担任はタイミングよく次の指示を出す言葉を発した。

川嶋の後ろ姿は、先程の様子とは打って変わって、
落ち着きを取り戻していた。

特に何事もなく月日は流れて行き、
その間見事なほどに川嶋は春山と一緒に行動していたし、
離れる様子など全くなかった。

それでも時々、春山の笑顔に影が浮かぶときがあった。
あれはとても暑い日だったように思う。


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