- ★☆ 舞い落ちる花弁
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桜の葉が赤や黄色に色づいて散ってゆく。
茶色くなった葉は、
踏みつけるとパリッと快い音を立てて崩れ落ちる。
秋の桜の散り様は美しい。
桜の花びらが散るよりもずっと。
仮面の上にさらに仮面を
付なければならない時期がやって来た。
無謀なことをしているようにしか俺には思えないが。
二枚も仮面を被る気力は俺にはない。
面接の練習の時も
普段クラスメイトに見せる態度で対応してみたら、
不愉快なことに教師の反感を買ったようだった。
受験勉強に専念すべきだと言われた夏も適当に過ごし、
もうすぐ冬がやって来る。
中学三年間で学んだ全てを思い起こし、
放出しなければならない。
人の記憶なんてたかが知れているというのに。
「イツキ!」
川嶋桜が随分久しぶりに声を掛けてきた。
俺の記憶では始業式以来なのだが、
もしかしたら挨拶くらいはしていたのかもしれない。
その時彼女はひどく上機嫌だった。
「イツキはどこの高校受験するの?」
「川嶋は?」
逆に問い掛けられて驚いたのか、
彼女は目を丸くした。
そして視線をずらし、春山の方を見た。
春山は静かに本を読んでいるところだった。
「ヒヨリ!」
叫ぶと、春山は読みかけのページに栞を挟んで
こちらに向かってきた。
従順と言い表すのがしっくりくるようだ。
「ヒヨリと私は西高受けるんだよね?」
同意を求めるように、
もう一度「ね」と言って首を傾げる。
けれど川嶋が求める答えは返ってこなかった。
春山は言いにくそうに視線を外している。
「どうしたの」
「……」
「な、何か、した? 私、何か変なことした?」
あの時と同じように、川嶋はそわそわし始める。
春山はその様子から目を逸らすように硬く目を閉じている。
彼女の肩を力強く掴み、
何度も「何かしたなら教えてよ」と川嶋は叫び続ける。
「ごめん」
その言葉が何を意図するのか、
川嶋は瞬時に悟ったようだった。
肩を掴む手から一気に力が抜けていくのが
端から見ても解った。
春山は申し訳なさそうに何度も川嶋の方を見上げたが、
彼女の焦点がどこかを彷徨っていた。
「ど……して。
一緒に、一緒の高校行こうって、約束したじゃん!
なんで今更破るの!?
なんで今更言うの!?」
その場にしゃがみ込んで、涙声で彼女は叫ぶ。
春山は何度も「ごめんね」と囁きかける。
突如として川嶋は立ち上がり、
教室の扉を乱暴に開けて走り去っていった。
彼女のその頬を伝う涙を見て幾人もがその後ろ姿を目で追った。
そして決まって彼らは春山を見やる。
彼女は辛そうに俯くだけで後を追う様子はない。
「追わないのか」
一言尋ねると、春山は首を振った。
本当は追いかけたいのを堪えて、その拳を握りしめていた。
その姿が痛ましく、あの後ろ姿が脳裏から離れず、
気が付けば歩きだしていた。
どこに行けばいいのかなんて知るわけがない。
ただその視線を追っていけばいい。
彼女を見かけた人々は、
一様にその方向を見てはコソコソ会話を始めるからだ。
辿り着いたのは駐輪場だった。
自転車通学の生徒たちはこの時間ここをうろつかないため、
一人になりたいときの穴場とも言える場所。
彼女はその奥でひっそりと泣いていた。
その方向へ一歩踏みだし、ふと立ち止まる。
こんなことをして、何になると言うのだろうか。
果たして彼女の傍へ歩み寄り、
俺は何を言うつもりなのだろうか。
彼女が信じ、受け入れるのは春山ただ一人だ。
俺が何を言っても、それは慰めになりはしない。
それに慰めたいわけでもないのに、
そんな言葉が出てくるはずがない。
すぐ傍で木々が丸裸になっていく。
川嶋が涙を流している。
その涙はまるで彼女の花びらのようで、
彼女だけでなく俺さえも急かすように
留まることなく流れ落ちていく。
「イツキ」
か細い、震えた声が耳に届く。
彼女は振り向かずに、もう一度俺の名前を呼ぶ。
傍まで歩いていき、彼女の隣に腰を下ろした。
「ヒヨリは私のことが嫌いになったのかなあ。
もうこんな奴、勝手にしろって、思ったのかなあ。
私は、……私はヒヨリが居なきゃダメなのに」
涙声で掠れたり、嗚咽で掻き消された部分もあったが、
多分そんなようなことを言った。
川嶋に悟られないように後ろを振り返るが、
そこに春山の姿はなかった
。本当に川嶋を慰める気はないらしい。
しかしここで慰めに来てしまったら、
折角の彼女の決心が水の泡になってしまう。
「このまま依存してちゃ、
いつかヒヨリちゃんに愛想をつかされるぞって、
お父さんによく言われた。こういうことだったんだね。
絶対ないって、言われる度に言い返してたのに」
次第に涙の流れが落ち着いていき、声もはっきりしてきた。
彼女の自己回復能力を信じるならば
このまま何も言わずにいても何の問題もないだろうが、
それでいいはずがない。
春山は変わらず川嶋のことを好きでいるのに。
「春山は、別に川嶋のことが嫌いになったわけじゃない」
「え?」
「今の状態を続けていくのはお前のためにならない」
「……ヒヨリがそう言ったの?」
「いや、俺の想像」
「……」
川嶋は再び黙り込んだ。
またその瞳が涙で揺れる。
一つの足音が聞こえてくる。
振り返ったその先で、あの長い黒髪が風になびいていた。
「サクラ」
少し言いにくそうに、
言葉を発する彼女の瞳にも、涙が浮かんでいた。
川嶋はその声を耳にした途端、
確認もせずに駆けだしてその胸に飛び込んだ。
わあわあと泣き叫ぶ彼女の背中を、
春山は優しく包み込んでいる。
「もう我が侭言わないし、頼りすぎないようにする。
だけど、別の高校には行きたくないよ……」
「うん」
「ヒヨリ以上に仲の良い子とか、気の合う子とか、
頑張って見つけるから、私のこと、見捨てないで……」
「そんなことするわけないでしょ」
春の日射しの中にいるかのように、
彼女たちの周囲は暖かく感じられた。
その中で花びらが散っていく。
落ち着いた空気の中、それだけが時間を
早送りされているのではないかと錯覚する程に。
けれどもその花びらは、
地面に舞い降りて跡形もなく消える。
それは美しい光景だった。
――fin
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