- ★☆ 君のいる丘。
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気晴らし程度の風が通り過ぎ、
紅い太陽が雲間から顔を出す。
ちづるはその様子を、両足を抱え込みながら見つめていた。
夕日を浴びて輝く街並を睨みつけ、口唇を引き結ぶ。
けれど、潤む瞳からこぼれる涙は止められなかった。
誰もいないと知りながら、腕に顔を埋めた。
落ち込んだらここに来よう、って、言ったのに。
瞼の裏に浮かぶ、苛つくほど見知った人物に心の中で舌を出す。
今日、つい一時間ほど前に、ちづるはある人物に告白をした。
名前は、増田祐輔。
ちづるの友人である羽住由希子の彼氏だ。
別に、由希子から彼を奪おうとしたわけではなく、
単純に気持ちを伝えようと思ったから、
今日このような行動に出たのだ。
そして見事振られてしまい、現在に至る。
「由希子を、一番大事にしてやりたい。
……って、くさいよ、祐輔」
彼が自分を振ったときの言葉を思い出し、
笑いとともに涙も溢れる。
由希子とちづるは、
ほぼ同時期に祐輔を好きになったと言えるだろう。
彼は、ちづるの幼馴染みの田岡健一と仲が良く、
四人で何度か遠出したりもした。
その中で、由希子とちづるは祐輔に恋をしたというわけだ。
今思えば、視野が狭すぎたかもしれない。
そんな自分に、呆れもする。
結果的に由希子のほうが先にちづるに相談を持ちかけ、
ちづるもまた、彼女と彼の応援をしてしまった。
だから、彼はちづるの告白を聞いて大変驚いたことだろう。
それでも彼は、ちづるの気持ちを正面から受け止めてくれた。
それだけが、彼女にとって救いだった。
夕日が、高層ビルの合間に沈んでゆく。
都会の喧騒から少し離れたこの小高い丘は、
もっと幼かったころの健一とちづるの遊び場だった。
頂上に一本だけ生えたこの大きな桜の木に、
昔は良く登ったものだ。今では到底考えられない。
ちづるは、刈り取られて数ヶ月ほど経っているだろう草原に、
手をついて立ち上がり、桜の木に寄りかかった。
冬の風に晒された、丸裸の大木。
その枝の先端には、もうすでに春の兆しが見られる。
それだけで、ほんの少し気分が紛れる。
小学生に上がったばかりのころのことだ。
クラスに馴染めずに、私はよく、ここで一人泣いていた。
その姿を偶然健一に見られ、いきなり怒られた。
確か、
「ここはお前だけの場所じゃないんだから、一人で来るな」
と言われた気がする。
その時交わした約束が、
何かあったら二人でここに来よう、だった。
彼にとっては、この場所を私が独り占めしたと思って
言ったことだったかもしれないし、
落ち込んだら来る、というのも私の勝手な解釈だ。
それでも彼は私が一人でここにいると現れ、
泣き止むまでずっと一緒にいてくれた。
高校生になっても、
彼の助けを必要とするのだろうか、と思わず自嘲する。
桜の木に背を預け、そのままずるずるとその場に座り込む。
太陽はもう沈みきっていて、夜を迎える準備を始めていた。
ため息が漏れる。
丘の下を通る一本の細い道に目をやる。
白いジャージ姿の人影が、
リズム良く走って登ってきているところだった。
「……健一」
思わず自分の目を疑う。
ここは別に、彼のジョギングコースではなかったはずだ。
健一が、丘の上に姿を現す。
「あ、ちづ」
茶色い髪が、夕闇に染まる。
「どう……したの?」
彼はちづるの問い掛けに答えずに、
こちらに走り寄ってきて、ちづるの隣に腰を下ろす。
あまり息は切れていなかった。
「俺さ、由希子に振られちゃった」
今度は耳を疑った。
目を見開いて、彼を凝視する。
けれど、どんなに見続けても、
照れ笑いをする彼の表情が目に入るだけだった。
「由希子のこと、好きだったの?」
彼はまったくそんな素振りを見せなかった。
寧ろ、彼も由希子と祐輔のことを応援していたように思う。
それが、どうして今になってそんなことを言い出すのだろう。
そう思って、はっとする。
自分と同じだ、と思い、顔を背ける。
一瞬でも彼が由希子に気持ちを伝える以上のものを
求めたのではないかと疑ってしまった自分が恥ずかしくなった。
「……まあ。けど、実際はよく判らないんだ。
祐輔と楽しそうに喋ってるあいつが好きだと思ったから。
だから、……気持ちを言っただけ。
いつまでも祐輔と仲良くしてやって、って」
彼の言葉にちづるは、
そう、とだけしか応えられなかった。
彼よりも自分のほうがずっと浅ましいことに気付いてしまった。
もしかしたら、
彼が由希子を捨てて自分を選んでくれるのではないか、
とどこかで期待していた。
それは、ちづるが好きになったのは、
由希子の彼氏である彼ではなく、
彼自身だったからというのもあるのだろう。
けれど、由希子と一緒にいる祐輔を見てしまったら、
きっと嫉妬してしまう。
そんな自分が醜くて、おぞましい。
「ちづも、なんかあったの?」
「何もないよ」
明らかに泣きはらした目をしているちづるが、
そんなことを言っても説得力はなかったが、
健一はそれについては何も言わず、
一言だけ、ふーんと呟いただけだった。
醜い自分は捨ててしまおう。
祐輔に抱いた恋心は忘れてしまおう。
彼は確かに私の気持ちに応えてくれたのだから。
本当に、彼が好きだったのなら、
彼が一番大事にしたいと言っていた、
由希子を大事にしてあげよう。
その内、彼に対するこの想いも風化する。
そうしたら、いつか由希子と健一に打ち明けよう。
それまで、この気持ちは誰にも見つからない場所で、
野ざらしにしておこう。
ちづるはそう決心して、
スカートについた土や草を払い落としながら、
ゆっくり立ち上がった。
「じゃあね、健一。また明日」
「バイバイ」
健一は笑顔で手を振り返す。
またいつか、お世話になるかもしれないね。
君のいる、この丘に。
――fin
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